源義朝最期の地、野間大坊

浜焼きバーベキュー魚太郎から野間の温泉へと向かいましたが、その途中にあるのが野間大坊。真言宗のお寺ですが、起源は天武天皇の時代までさかのぼるとか。知多は田舎ですが、神社仏閣が多く、かつては宗教上重要な土地であったようです。何故かは知りませんが。

野間大坊

野間大坊が有名なのは、源頼朝の父、源義朝が殺された場所であるため。1159年のことでした。平治の乱に敗れてここに逃れてきた源義朝は裏切りに会い、入浴中に殺されたと言われています。

源義朝の墓

これが源義朝の墓。裸で襲われ「木刀が一本あれば」と言ったという源義朝を弔うために、木刀が供えられています。京都あたりにこの墓があれば、拝観料500円とか取られるのでしょうが、ここは無料です。

血の池

これが源義朝の首を洗ったと言われる血の池。今は単にこ汚い小さな池ですが、ちょっと不気味な雰囲気があるかもしれません。


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