昌徳宮は李王朝3代目の太宗が1405年に建てたのが始まり。1997年にユネスコの世界遺産として登録されました。僕自身は25年ほど前に一度来たことがありますが、それほど重要なものだとは当時は知らず、ガイドさんに案内されて見たはずなのですが、あまり記憶に残っていません。
北村の宿から昌徳宮は、歩いて10分程度。歩いているとすぐに見えてきました。
これは昌徳宮入り口の敦化門。昌徳宮にはここ以外からは入れません。
昌徳宮の宮廷内に入るには禁川という小さな川にかかった錦川橋という石橋を渡ります。これは1411年に作られたという古い橋。あまり注目されていませんが、橋の両側の下の方の動物の彫刻も面白いものです。
続いて進善門をくぐります。ここにはかつて、お上に訴え出るために叩く申聞鼓というものが設置されていたとか。
屋根組が特徴的。これは他の宮殿でも使われている韓国独特の様式のようです。
次に仁政門をくぐります。
仁政門から見た仁政殿。
そしてこれが主要な政務が行われていた仁政殿。
仁政殿の内部。
仁政殿の屋根の作りはさすがに見事。
こちらは王の執務室、宣政殿への入り口にあたる、宣政門。
宣政殿は、会議などもここで開かれていたそうですが、割合こじんまりしています。
こちらは王の寝室兼執務室の熙政堂。何と読むのでしょうか。元々の建物は焼失しており、元々景福宮にあった建物を移築して再建したもので、オリジナルとはずいぶん異なっているとのこと。
壁の向こうは後苑(シークレット・ガーデン)と呼ばれる庭園になっています。ちなみに後苑に入るにはガイドが必要で、別料金。25年前には入ってとても美しい場所だった記憶があるのですが、何を見たかの記憶がさっぱりありません。
大造殿は元々王妃の生活空間だったようですが、昌徳宮の大造殿は、朝鮮が日本の植民地となることを決めた国難の地とされています。
この右側の部屋が、植民地となることを許諾する御前会議が開かれた場所とか。ただし、オリジナルの大造殿は1917年に焼失しており、この建物はやはり景福宮から移築して再建したものだとか。
季節がら、紅葉が美しい。ここは皇太子が過ごした東宮のあたり。日本でも皇太子の住居を東宮と呼びますが、中国から来ているのでしょうか。
このちょっと質素な建物は樂善齋と呼ばれるもの。24代国王憲宗の住まい。
奥に見える望楼のようなものは、上涼亭と呼ばれる東屋。
コメント
“韓国ソウルの昌徳宮” への1件のコメント
[…] 昌徳宮を見た後は、徒歩で広蔵市場へ向かいます。地図上ではさほどの距離に感じられませんでしたが、歩いてみたら意外に遠い。20分以上はかかったでしょうか。 […]