今須宿に入りました。関ケ原から、小早川秀秋の陣があった松尾山を越え、麓の平井集落聖蓮寺を経ての行程です。途中道路工事で予定していた道が通れず、本陣跡の近くから今須宿に入りました。近くには、今須川にかかる今須橋脇の常夜灯があり、近くの民家が素敵なので一緒にパチリ。
それ以外は、本陣もすでにありません。かつての建物としては唯一問屋場が残っているくらいです。
お腹が空いて、飲食店を探しましたが、街道沿いの通りには皆無。どこか知らないところにあるのでしょうか。
今須宿妙応寺
今須宿の本陣跡のすぐ北側にあるのが妙応寺。岐阜県で一番古い曹洞宗のお寺だそうです。あまり大きなお寺ではないですが、面白いのが寺の構造。本堂を中心に、山門までがぐるりと回廊でロ字型に繋がっています。ここまできれいに繋がっているのは珍しいとか。
妙応寺境内には、関ケ原の合戦を終えた徳川家康が今須宿に立ち寄り、腰かけたと伝わる石が置いてあります。本当に腰かけたかどうかは定かではありませんが、今須は関ケ原の隣で、当時の東山道(のちの中山道)が通っていましたから、徳川家康が通ったことは間違いないでしょう。
街道の宿の面影はあるものの、食べるところがありません。今須宿を後にして、柏原宿へと向かいます。
車返しの坂
今須宿の町並みを出てしばらく歩いていくとあるのが車返しの坂。ここには、今では地蔵様が祀られています。なんでも、南北朝時代に平安貴族が荒れ果てた不破関屋に風情を求めて牛車で京からやってきたそうです。、建物の修繕が済んだと聞いて、宿場へ入る前のこの坂から京へ引き返したとか。このストーリーについて詳しくはこちらを参照。
芭蕉句碑と寝物語の里
更にしばらく進むと、工場の敷地内?に芭蕉の句碑が。奥の細道で大垣に向かった時のものでしょうか。
そしてさらに進むと、岐阜滋賀の県境、昔の近江と美濃との国境にある寝物語の里。ここは国境の両側に接して建物があったので、隣の国で話す声が夜聞こえることからこう呼ばれたとか。さらにいろいろな伝説もあるようですが、詳しくはこちら。
ここから滋賀県に入り、柏原宿はもうすぐです。
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“今須宿” への2件のフィードバック
[…] 今須宿からひたすら歩き(と言っても1時間かかりませんが)柏原宿 に近づくと、右手の神社の入り口に「長比城跡登り口」の案内が。長比城と書いて「たけくらべじょう」と読むそう […]
[…] この時、時刻は正午をとっくに回っていて、集落の周辺でランチが取れるところを探しましたが、皆無。しかたなく、そのまま歩いて今須宿を目指しました。 […]